@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000777, author = {井上, 章一}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Sep}, note = {日本に、いわゆる西洋建築がたちだすのは十九世紀の後半からであり、当初は伝統的な日本建築の要素ものこした和洋折衷のものがたくさん建設されている。文明開化期に特徴的なのは、そんな建築のなかに、近世城郭の天守閣を模倣した塔屋をもつデザインのものが、とりわけ金融関係の施設でふえだした点である。じゅうらいは、それを、近代のブルジョワが、封建時代の領主にあこがれてこしらえたのだと、解釈してきたが、拙論では、そこへもうひとつべつの可能性をつけ加えている。十八世紀後半ごろから、織田信長以後の天守閣を、南蛮渡来の建築様式だとみなす見解が普及し、その考え方は、十九世紀末まで維持された。明治維新後、文明開化期につくられた西洋をめざす建築に、天守閣形式の要素がまぎれこんだのも、それがなにほどか南蛮風、西洋的だと思われていたことに一因があるのではないかとする仮説を、ここではたててみたしだいである。}, pages = {49--57}, title = {初期擬洋風建築の天守閣形状塔屋に関する一考察}, volume = {16}, year = {1997} }