@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00007906, author = {頼, 衍宏}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Oct}, note = {日本上代金石文のうち、群馬県の山上碑(681年)は2017年にユネスコによって「世界の記憶」の一つに登録されたが、その文体について、現代の主流学説では和文体だとされている。日本の国語学会が示した関連意見を整理すると、和文体論者の主要なポイントを四点((1)名詞の万葉仮名表記、(2)敬語、(3)語順、(4)系譜)に要約できる。それに対し、前半を漢文体と見る江戸時代の国学者の説もある。本論では後者を重視して、大局的に見れば正格漢文体説を唱えたい。我々はもっと適切な用例を見出すために力を致すべきであり、さもなければ、テクストそのものの純漢文体の素顔を取り戻し難いだろう。  次いで、中国の墓誌ジャンルを検討すると、五世紀の「石誌」の定義が最も注目に値する。それに基づけば本碑文の基本様式がはっきりと見えてくる。また、二世紀の碑文を参照すると、本碑文における指示代名詞の輪郭を掴むことができる。  句切り方に関していえば、最も困難視されるのは本碑一行目における「集月」の部分である。日本の学術界は四つの異なる見方を示しているものの、まだ行き届いていないおそれがある。そこで石田茂作の旧論を参照すべきであり、その訓詁学の成果から得た視点に沿って始めて精確に一行目の句読点を導き出す可能性がある。  本碑の三行目における「娶生児」の部分に関しては、唐代の類書『初学記』の句読が本碑の文章の筆のはこび方に符合するらしい。本碑の四行目における「為記」「定文」の部分は、隋・唐の墓誌の銘文データベースから共通した実例を検出することができる。このような観点に立って、筆者は新しい読み下し文を提案したい。  思想の面に至っては、仏教説と儒教説が対立している。ここでは、論争解決の糸口に唐代の仏書『広弘明集』の定義を導入するなら、忠と孝の美徳を両立できるという考えが本碑の行間に見え隠れすることに気づくはずであろう。したがって、後者を支持すべきである。}, pages = {9--32}, title = {<研究論文>山上碑新論}, volume = {65}, year = {2022} }