@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00007907, author = {梁, 暁弈}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Oct}, note = {養老4年(720)の撰進以降、奈良・平安時代にわたって、『日本書紀』を講読する行為、いわゆる「日本紀講書」は、合計7回行われた。初回の養老講書を除き、平安時代における6回の講書は、ほぼ三十年間隔で行われた。従って、これまでの研究史がこの6回の講書を均質的・連続的なものとして捉える傾向が強い。  更に、これまでの研究では、日本紀講書を、博士を主講者に据えて、その教えを受ける一連の聴講者という構造で理解されている。このような理解を踏まえる限り、日本紀講書の性格や意義をめぐる思考は、如何にしても限定されてしまう部分がある。  ここで本稿では、日本紀講書における発言の主体を確認するために、「当講尚復」の役割に着目する。結論のみを示すと、以下の3点になる。  (1)本稿では三・四人の「尚復学生」と一人の「当講尚復」の存在を指摘し、それが三・四人の学生が順番に「当講尚復」を務めることを指摘する。この「当講尚復」の役割は、博士と質疑問答を繰り返すことによって講書を進行させることであるが、この順番構造こそは、日本紀講書の性格を理解するための鍵であると強調したい。  つまり、従来のイメージでは日本紀講書を博士による一方的な「伝授」を学生・公卿等が受けるという理解が強いが、それに対して本稿では、むしろこの三・四人の尚復学生の方こそ、講書における発言の主体であると強調したい。  (2)そして尚復と博士の問答を聞く公卿以下一連の聴衆は、一方的な「受講者」ではなく、むしろ博士と学生を評価・裁量する立場にある。この点において、公卿全員が出席するようになった元慶講書こそ、日本紀講書に画期的な変化をもたらしたものであると主張したい。  (3)本稿は、元慶講書の一連の変化を、公卿の出席がもたらした必然的な変化と見る。元慶年間の政治状況・講書における藤原基経の行動を側写することで、元慶講書とは、藤原基経が自らの影響力拡大を図って、これまでの講書を利用・改造するものであり、一種の政治的な演出であるという視角を主張したい。}, pages = {33--67}, title = {<研究論文>日本紀講書における「当講尚復」 : 元慶講書の政治史意義に触れて}, volume = {65}, year = {2022} }