@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00007910, author = {堀内, アニック}, journal = {日本研究, NIHON KENKYŪ}, month = {Oct}, note = {寛政11年(1799)刊の『日本山海名産図会』は、近世後期の日本各地の生産の現場を多数の風俗画と細部にわたる説明を通して紹介する貴重な資料として注目されてきた。しかし、同時期に出版されていた「名所図会」類と異なり、研究は必ずしも十分だとはいい難い。その編纂をめぐる複雑な経緯がその理由の一つである。平瀬徹斎によるほぼ同名の『日本山海名物図会』(1754)の続編として企画され、挿画がほぼすべて画工蔀関月(1747–1797)の作であることはわかっていても、その本文の成立事情に関しては多くの疑問が残っている。とりわけ、序文を寄せた木村蒹葭堂(1736–1802)の役割が常に問題にされてきた。本稿では、この問題を解決するまでには至らないにしても、その編纂の理解を深める上でいくつかの示唆を与える。まず、『日本山海名産図会』の序文、跋文、『日本山海名物図会』とのつながり、画工蔀関月の活動等を手がかりに、その編纂の背景に迫る。跋文の著者であり、本書の完成に寄与したと思われる秦(村上)石田なる人物に注目する。次に、「伊丹酒造」「平戸鮪」「伊万里陶器」等の項目を例にとり、その内容が、『本草綱目』(1596)をはじめとする和漢の本草書の系譜に位置すると同時に、明末の『天工開物』(1637)からも多くの示唆を得ているといった学問的系譜を提示する。  また、その絵図の写実性に注目し、本書の編纂の狙いや手法を明らかにする。最後に、従来ほとんど論じられることのなかった杏雨書屋が蔵する写本『平賀源内物産考』と比較検討し、『日本山海名産図会』の編纂過程に関する新たな仮説を付記する。}, pages = {135--186}, title = {<研究論文>『日本山海名産図会』(一七九九)の成立事情と系譜を辿って}, volume = {65}, year = {2022} }