@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000792, author = {河合, 隼雄}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Dec}, note = {浜松中納言物語と更級日記は、菅原孝標女という同一人物によって書かれたと言われている。両者の特徴の共通点のひとつは、ともに多くの夢が語られていることである。私はそれらの夢を、現代の深層心理学の立場に立って、自分の夢分析の実際経験に頼りつつ比較検討した。一見すると浜松中納言物語と更級日記の夢の意味はまったく異なっているように見える。前者では、すべての夢は外的現実と関連しており、ときには未来の事象を告げたりする。物語は夢に従って展開する。夢は物語の筋に重要な役割を担っている。他方、後者では、作者は夢が彼女の人生において、最後のひとつを除いて、すべて役に立たなかったと嘆いている。  一見したところのこの大きい差から見ると、これら二つの作品の著者は同一人物ではないと考えたくなる。  しかし、更級日記をより慎重に検討すると、異なる見方ができる。その最も重要な夢は最後の夢で、それには阿弥陀仏が現れる。作者はその夢を見て非常に幸福に感じ、その夢によって涅槃を約束されたと信じる。このことが作者の実に強調したいことなのである。この点を心に留めて見ると、更級日記の内容は、すべての夢を含めて、彼女の最後の夢によって明らかにされた来世の幸福を伝えようとする試みとして見ることができる。このように理解すると、この二つの物語における夢の重要性は、一見したところは相当に異なって見えるけれども、同じであるという結論に達する。  かくて、浜松中納言物語も更級日記も、夢がいかに深い真実を告げるかを明らかにしているものだと結論することができる。これは、両者の作者が同一人物であるということを支持することになるだろう。}, pages = {51--67}, title = {『浜松中納言物語』と『更級日記』の夢}, volume = {15}, year = {1996} }