@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000824, author = {村井, 康彦}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Jun}, note = {日本人の宗教意識を探る試みは、近時における宗教ブームのなかでいよいよ盛んだが、日本人の宗教的な精神風土の原郷を平安時代に求めることは、決して間違っていないし、重要な仕事であろう。なかでも仏教界の方からはじまった、いわゆる神仏習合がこの時代にひろがり、社会的な影響を及ぼしはじめたことの意味は大きい。興味深いのは、そうした神仏習合の進むなかで神祇側が覚醒し、さまざまなリアクションを起こし、神祇の世界に波紋を投じている事実である。本稿はそのことを、中央の神祇氏族であった中臣・忌部両氏の動向と、地方神祇の主体となった国守(都から下った地方長官)の動向とを、その結節点となった国庁(各国におかれた地方政庁、その長官が国守)の神祇施設である「国庁神社」の歴史を辿るなかでとらえ、九―十世紀における、中央・地方にわたる神祇界の変動の実態とその背景を探ったものである。}, pages = {11--32}, title = {国庁神社の登場 : 惣社の系譜}, volume = {12}, year = {1995} }