@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000839, journal = {日本研究}, month = {Sep}, note = {江戸時代の絵画、俳諧の表現技法の一つに「見立て」というのがある。それはいっけんまったくかけはなれた異質なものを、わずかな共通因子をとらえることによって、つないで鑑賞することである。みえるかみえないかの細い糸でこうして結ばれた異質なもの同士の関係は、あくまでも仮に成り立つもので移ろいやすいものである。この点において見立ては、世阿弥の「和合」につながる。見立てにおいても世阿弥の和合においても、美は永遠で特権的なものではなく、他社との危うくてはかないつながりにあるのである。ここには変わらぬ「コンセンサス」などはない。あるのは諸々の異質なもののあいだを移ろいゆく仮の「コンセンサス」――「響き合い」、「和合」だけである。こうした見立ての美学は、芸術は永遠のイデアを模倣するものであるとするアリストテレスの美学の対極をなすいっぽう、普遍的支配的なマクロ・ミュトスを否定し、新しいゲーム規則を求める現代のポストモダンに、多くの点において示唆するところがある。}, pages = {155--163}, title = {<共同研究報告>永遠なる混沌における移ろう秩序 : 見立て・世阿弥・ポストモダン}, volume = {11}, year = {1994} }