@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000883, author = {中西, 進}, journal = {日本研究}, month = {Sep}, note = {この論文は『源氏物語』が『白氏文集』を比喩としてどのように引用するかを考察するものである。  一 「賢木」における「薔薇正開云々」の詩は、政治的失意の中にその所以を問い、交友を求め、藤壺を思いつつ志の高さを保とうとした源氏の心のメタファである。  二 「須磨」における「十年三月三十日云々」の詩は、源氏と頭中将の関係が元・白に匹敵するものであり、同じような別離の悲しみがあったことを訴えると同時に、源氏前半生への感懐を白詩をかりて読者に暗示しようとするものである。  三 「竹河」における「春江」の引用は、賑やかで心労の多い人間劇の中での、女主人公の願望を暗示するものである。  四 「胡蝶」における「七言十二句」は愛の世俗性を批判するものである。  五 「少女」にも「七言十二句」の引用を『孟津抄』は指摘するが、これは引用と認められない。  六 「夕顔」における「闇夜砧」は荒涼の風景が主人公の心痛の暗喩として用いられた。  七 「梅枝」における「題故元少尹集後」は、光源氏の筆跡のすばらしさが元宗簡の清らかで美しい作品とひとしいものだというためのものである。  八 「幻」における「題故元少尹集後」は、光源氏の老いと光源氏の紫の上への追慕の深さを強調するものである。  九 「朝顔」における「贈皇甫庶子」は、光源氏の心の深層にある老いと、官の疎ましさを暗示するものである。  十 「須磨」における「河亭晴望」は、官を離れ、都遠くにいることが人間に与える穏やかさを示そうとするものである。}, pages = {105--133}, title = {隠喩と暗喩(八) : 源氏物語における白氏文集、「薔薇正開」など}, volume = {9}, year = {1993} }