@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000887, author = {片桐, 圭子}, journal = {日本研究}, month = {Sep}, note = {ペリー提督が、それまで200年間鎖国を続けていた我々の国、日本を訪れ、そのドアを叩いたとき、『ニューヨーク・タイムズ』はすでに日本を見つめるための窓を大きく開いていた。(同紙は、日本国内のあらゆることに関心を持っており、)今、我々はその記事から、史実を知るのみではなく、わが国にたいする同紙の考え方をも読み取ることができる。当時、近代国家・国際国家へと変わろうとしていた日本にたいする認識を、である。  日米両国が外交関係を成立させた当初、『ニューヨーク・タイムズ』は、未知の国民との交渉に際しては、アメリカは彼らの信頼と好意を得るために何らかの努力をするべきだと主張し、武力を行使することを非難した。記事の内容は日本に対して非常に友好的だったが、それは日本側がアメリカの言いなりになっていたためだった。  一八六〇年代前半になると、『ニューヨーク・タイムズ』は日本に対してよい感情を持たなくなる。日本は未だ開国に躊躇しており、その混乱の中で、日本政府はしばしば国際社会のルールを破った。『ニューヨーク・タイムズ』は日本での混乱の理由を理解しようとし、日本固有の制度、とりわけ天皇と大君が並立する二重権力構造と封建制について考察しようとするのである。  一八六〇年代後半になると、日本はついに開国を決意、各国と友好関係を築くための基盤を整えていった。そして戊申戦争後、『ニューヨーク・タイムズ』は、日本が二重の権力構造と、封建制を完全に捨て去り、文明国家の一員にまで成長したことを認めるのである。}, pages = {230--184}, title = {<研究ノート>『ニューヨーク・タイムズ』に見る幕末・維新期の日本 : 対日認識の変遷とその背景を中心に}, volume = {9}, year = {1993} }