@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000889, author = {木村, 汎}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {ゴルバチョフがペレストロイカを開始した背景や理由として、多くの要素を指摘することができる。例えば、次のファクターは、そのほんの一例である。ソ連経済の停滞、否定的な社会現象の発生、政治的無関心(アパシー)の蔓延、ソ連と先進資本主義諸国との間で拡大する一方の経済的格差、NIES、ASEAN、中国らの擡頭、”強いアメリカの再建”のスローガンを掲げ、その象徴としてSDIを推進しようとしたレーガンの挑戦、西側世界の団結、繁栄、安定、それに比べて国際場裡において目をおおいたくなる程度にまで進行中のソ連邦の実力、影響力、威信の低下……等々。このようにペレストロイカの開始を促した数多くの要因の存在を十二分に意識しているが故に、日本の経験や教訓だけがペレストロイカを生み出す引き金となったとか、日本の成功がペレストロイカの唯一のモデルであると、私の論文が主張していると誤解されてはならない。ましてや、私が日本人であるが故に、ナショナリスティックな偏見に基づいて戦後日本の達成物を過大評価していると誤解しないことを望む。客観的な立場から、明治以来、とくに戦後の日本の発展が旧ソ連/ロシアの改革に一モデルと目されてよい程の有益な教訓を提供していると十分主張しうると、私は考えるのである。  ペレストロイカは、なによりもまず停滞したソ連経済の立て直しを目指して、経済分野から始められた。約百年前にほぼ同レベルから近代化ないし工業化を開始したにもかかわらず、日本が今日米国に次ぎ世界第二位の経済大国の地位にのし上がった現実は、ロシア人に「日本ショック」の衝撃を与えた。国土面積、人口、天然資源などの諸点でロシアに著しく見劣りのする日本が、ロシアを遙かに上回る経済パフォーマンスを上げている理由は、何か。ゴルバチョフは、科学・技術の力を借りて資源の最大有効利用に努めている点に「日本の奇蹟」の主因が存在すると考えた。軍事・安全保障の分野でも、ゴルバチョフは、日本の生き方が自国にとり参考となると考えた。戦後日本の驚異的な経済復興および繁栄は、軍事力を国の発言力を増大する源泉と見ずに、むしろ非軍事部門の充実を重視した点にある。ゴルバチョフが「新思考」のキャッチフレーズ下に「安全保障を確保するためにすら軍事力の限界が存在する」ことを指摘したのは、偶然の一致といいうるかもしれないが、戦後日本の経験を遅まきながら学んだからだともいいうる。同様に、外交政策の分野でも、ゴルバチョフは軍事力が有効な外交的な道具(ツール)となりえないことを悟ると同時に、二十一世紀に向けて世界で最もダイナミックな発展を遂げつつあるアジア・太平洋地域へ、日本に倣って参入すべきであると悟るようになった。日本の国内政治の分野においても、野党の反対意見をとり込みつつ事実上自民党の永久支配を可能にしている点や、大蔵省や通産省の行政指導下に「上からの改革」が推進されている点などにおいて、日本式政治のほうが、欧米モデルに比べ、全体主義体制崩壊後のソ連にとり身近なモデルを提供している。}, pages = {11--38}, title = {日本 : ペレストロイカのモデル?}, volume = {8}, year = {1993} }