@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000894, author = {正木, 晃}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {縄文時代から奈良時代までを概観した前回をうけて、平安時代の「聖空間の自然」を取り上げる。ひとくちに平安時代といっても、古代から中世までつらなる四百年はあまりに長い。そこでまずは、この時代の人々の心に最も大きな影響をあたえた密教世界を、今回の主題としたい。より具体的にいえば、俎上にのぼるのは、密教と月の関係である。  なぜ、密教と月なのか?と問われるのなら、こう答えよう。密教のある種の行法が月のイメージを大いに用いたがゆえに、爾後、日本人は月に永遠性や宗教生に通ずる何か特別な価値を認め、ひいては月をもって日本的自然の代表とするに至ったのだと。その密教の行法とは「月(がち)輪(りん)観(かん)」、すなわち、おのれの心を清浄なる満月と観ずる瞑想法である。  インドに起源をもつ「月輪観」は、平安劈頭、中国から帰朝した空海により密教の基本修法として導入され、平安末葉、覚鑁らにより浄土往生をも可能にする行法として、僧侶のみならず、理不尽な差別に晒されていた人々の間にも広く流布された。そこでは、自然物としての月=大日如来=阿弥陀如来=自身の心、という密教方程式が成り立っていたのだ。  歌人西行は、高野山などにおいて覚鑁流「月輪観」を修行しており、彼が詠んだ月の歌に「月輪観」が影を落としていることは否み難い。月が日本的自然の代表となるに際し、西行の演じた役割の大きさを考えれば、この密教修法のもつ意味は決して無視しえぬはずである。}, pages = {133--163}, title = {聖空間の自然 II : 密教世界(1) 月やはものを思はする}, volume = {8}, year = {1993} }