@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000898, author = {上垣外, 憲一}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {仏教が支配的思想であった平安時代、仏典のレトリックは和歌の表現に大きな影響を与えた。しかしその影響には相当の摩擦が伴っていた。和歌文学は『古今集』以来、春、夏、秋、冬の四季の部立をその中心にすえて四季の移ろう美しさの表現にもっとも重点をおいてきた。  ところが、平安中期以後、もっとも大きな影響力をもった仏典、『法華経』と『往生要集』に現れる仏教にとっての理想世界、仏国土および浄土は、きらびやかな金銀宝石に飾られ、いつも適度に暖かく、毎日花が降りしきるという常春の世界である。『往生要集』では、四季の変化は老、病と同じくこの世の苦しみの一つである。また『法華経』では、その仏国土には山、川、谷など地形の変化が全くなく、平坦な土地に華麗な仏閣が立ち並ぶ都会的なイメージとしてその理想郷は現れる。  このような仏典の都会的、あるいは反自然的な仏国土観、浄土観は当然、和歌の伝統的な表現法、美意識と対立する。  一〇世紀の選子内親王の『発心和歌集』の漢文序には、仏典と和歌のレトリックの相違が、天竺、漢、日本の言葉の性質の違いがありそれが和歌に仏教的な表現を取り込むための障害となっていることが明確に述べられている。  このような対立は一一世紀、一二世紀を通じてさまざまな試みによって融和が試みられた。それは本来は否定されるべき物、つらい物である四季の景物、移ろいがつらさ、悲しさの奥になつかしさを秘めているという形の屈折した自然観の表現として次第に和歌の世界の中に定着していく。一二世紀末の藤原俊成の『長秋詠藻』の釈教歌の表現法にその試みは典型的に現れている。「もののあはれ」とはこうした否定を通り越した自然の肯定、秋になり草木が枯れることは、病や死のように嘆くべきことだが、まさにそれ故にしみじみと嘆賞すべき景物であるという点にあると考えられる。}, pages = {55--69}, title = {仏典のレトリックと和歌の自然観}, volume = {7}, year = {1992} }