@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000907, author = {白幡, 洋三郎}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {福沢諭吉は慶応義塾に、それまでの日本の教育施設、寺子屋や私塾にはみられなかった校庭、つまり「運動場」や「遊園」を設けた。そしてブランコ、鉄棒、滑り台などの運動施設をつくって、塾生たちに運動をさせた。  彼が学校教育での身体運動の重要性に注目するようになったのは、西洋での見聞による。そしてその後、慶応義塾が西洋起源の近代スポーツを導入するのに果たした役割は大きかった。しかし、福沢諭吉自身にとって身体運動とは、日常的な起居動作や生活に密着した肉体労働などから離れたものではなかった。  彼が勧める身体運動の理想形の一つは、独立した運動としてのスポーツではなく運動会や遠足でおこなわれる身体鍛錬と娯楽とが混然一体となったものであった。  最近は、到達目標や上手下手という評価のシステムから離れて楽しむことにスポーツの意義があるという考えが優勢である。専門家が独占する競技スポーツではなく、このような「やわらかいスポーツ」を評価する、現代のスポーツ観の、いわば先駆的なものが福沢諭吉の身体運動観であった。}, pages = {57--73}, title = {福沢諭吉の運動会 : 近代のスポーツと日本人の身体観(続)}, volume = {6}, year = {1992} }