@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000945, author = {朱, 捷}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {Mar}, note = {見立ては、つきつめて言えば、異なる事象たる甲と乙との間に共通した要素を見つけることである。それは、身ぶりしぐさなどの生活の知恵としての見立てから、芸術表現の様式としての見立てまで、幅が広い。美学的価値から言えば、それは大きく二つのレベルに分けることができる。一つは、おもに甲と乙との間の外面的、知的な共通要素を媒介とする見立てである。いま一つは、甲と乙との間の内面的、情趣的な共通要素を媒介とする見立てである。前者は、一般に言う譬喩に近く、比較的素朴で、日常的であるのに対して、後者は、芭蕉の配合に近く、より奥深くて芸術的である。従って、日常生活から芸術表現まで幅広く認められる見立ての究極的な境地は、内面的、情趣的な要素による異質な事象観の配合にあると言える。配合は、内面的、情趣的な要素を媒介にしている上に、素材感に連鎖を与えずに並列させるため、素材間の飛躍が大きくなり、飛躍が大きければ大きいほど、思いがけない新鮮なイメージが躍動してくる。  見立てと配合は、単に芸術の領域にとどまらず、日本の思想や宗教の一般的な特徴にもつながるように思われる。例えば、日本の宗教に悪魔を神に転化するメカニズムが特に顕著にみられるが、これも悪魔のような異質な物に、人間の利益に合致する要素を見つける、一種の見立てである。また、日本にはさまざまな宗教が錯綜しており、一般の日本人でいくつもの異なる宗教をかけもちで関係していることは珍しくない。こうしたことを可能にしているのは、日本人の深層に、異質な物に共通した因子を認め、異質のままに共存させる柔軟な配合の精神が潜んでいるからだと考えられる。}, pages = {79--95}, title = {「見立て」と「配合」}, volume = {2}, year = {1990} }