@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000954, author = {久野, 昭}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {May}, note = {『古事記』によれば、同母妹の軽大郎女を愛し妻としたため、木梨の軽太子が弟の穴穂命によって捕らえられ流されたのを、軽大郎女が追う。その到着を待ちながら、太子が「隠り国の泊瀬」で始まる二つの歌を詠んだ。その上で、二人は自決する。  「こもりく」は一般には、山々に囲まれた狭い場所であるところから泊瀬にかかる枕詞であると、解されている。しかし、言葉のもとの意味からすれば、「こもり」(籠もり)とは閉じ籠もることだし、「く」とは場所の義であるから、人が閉じ籠もりうる狭い場所はすべて「こもりく」たりうる。たとえば天照大神が岩屋に閉じ籠もって世界が暗くなった。この世とあの世との境であるこの岩戸も隠国であるし、アイヌ語で洞窟を意味するとともにあの世への入り口でもある「アフンルバル」もまた隠国である。隠国を通って、人はあの世へ入り、あるいはこの世を訪れる。  儀礼としての籠もりの狙いは再生、あの世からこの世への帰還にあって、籠もりの状態で人は死んではいるが、それは再生のため、その生命を回復せんがためである。  その上、古代においては自分が日々の生活を送る場の外に出て行くことは他界に入って行くことであったし、だから旅に出ることは生と死との境を越えることであった。出て行く者は黄泉への旅人であり、来る者は黄泉からの来訪者であった。  思うに、軽太子が「隠り国」で始まる二つの歌を詠んだとき、彼の念頭にあったのは、現実の泊瀬という土地ではなく、その生涯を閉じるに際しての彼自身のあの世への旅のことであった。}, pages = {25--64}, title = {陰国の旅}, volume = {1}, year = {1989} }