@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000955, author = {村井, 康彦}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {May}, note = {古代社会に成立した日本的王権=天皇制が、長期にわたって存続した歴史的背景を明らかにすることは、天皇制それ自体にとどまらず、日本の社会や文化の特質を知るためにも不可欠の研究課題である。天皇制を存続させた最大の理由は、王権における権威と権力が分化し、天皇が権威だけをもつ存在になったことにあるが、その権威と権力の分化をもたらしたのは、天皇の即位年齢の低下と、それによる天皇の政治的主体性の弱体化にある。そのきっかけをなしたのが、天智天皇が大友皇子(二三歳)の即位を実現するために発した詔を「不改常典」(天智が定めた、永遠に変更されることのない法)と称し、これを拠として、持統女帝と元明女帝がそれぞれ孫の皇子(一五歳・二三歳)の即位を実現したことにある。この過程で生れた、王権の継受に関する新しい制度が皇太子制度であり、これが持統女帝にはじまる譲位の慣例化とあいまって、年少天皇の即位、不執政天皇の出現をもたらすこととなった。日本的王権=天皇制の成立といってよい。それは平安初期のことである。}, pages = {65--95}, title = {王権の継受 : 不改常典をめぐって}, volume = {1}, year = {1989} }