@article{oai:nichibun.repo.nii.ac.jp:00000961, author = {白幡, 洋三郎}, journal = {日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要}, month = {May}, note = {いわゆる近代スポーツのほとんどは明治維新後、日本に入ってきたものである。しかし近代スポーツは、たいていの日本人にたやすく受け入れられなかった。そこで指導層は、あの手この手を使って民衆を身体運動に馴染ませようとしたのである。だが近代スポーツ、身体運動を積極的に受け入れたのは「洋式」をはじめから肯定して設けられた機関だけであった。民衆のスポーツ・身体運動に対する消極性は、儒教的な身体観である養生論と、伝統的な身体運動の軽視、すなわち勤労以外の身体運動を望ましくない活動であり、たんなる戯れ・遊びとみなす考えによるものであった。花見などの伝統的な屋外の民衆レクリエーションにおいても、身体運動の軽視は見られる。国家や指導者層の初等・中等教育段階における運動会や遠足など、民衆を身体運動に馴染ませようとする教育的活動は、民衆の側から花見と同質の屋外レクリエーションとして「曲解」されることにより、ようやく受け入れられていったのである。}, pages = {175--188}, title = {遊びをせんとや生まれけむ : 近代のスポーツと日本人の身体観・序論}, volume = {1}, year = {1989} }